ブラジルのFunkとは?ファンキの歴史その2【2010s~】

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はじめに

この記事は、ブラジルのファンキ(Funk)の歴史をたどり、ジャンルの全体像に迫る特集の第二弾です。前回の記事では、ファンキが誕生した1980年代から2000年代までを扱い、ファンキ・プロイビダゥン(Funk proibidão)、ファンキ・コンシエンチ(Funk consciente)、ファンキ・メロジー(Funk melody)といったサブジャンルも紹介しました。

今回は、2010年代以降の流れを見ていきたいと思います。

2010年代は、YouTubeやSoundCloud、Spotify、Tik Tokが登場し、そういったプラットフォームが音楽産業を変え、音楽自体をも変えていった時代でした。誰でも世界中の音源にアクセスできるようになったものの、膨大な音源をすべて聴くことは誰にもとっても不可能で、シーンの全体像や大きな流れをつかむのが逆に難しくなりました。

そんな中で、ブラジルに行ったこともない私がこのような記事を書くのは気が引けますが、日本在住の視点から大まかなマッピングを試みるのも無駄ではないと思うので、あえて記事にまとめておきます。

2010年代のファンキを楽しむために、キーワードとなるのは、次の4つだと思います。

  • サンパウロ
  • Anitta
  • BPM150
  • ブレーガ・ファンキ

この4つをたどる中で、Funk paulistaFunk ostentaçãoFunk ousadiaKondZillaFunk mandelãoFluxoParedãoといったキーワードも出てきます。それでは、ひとつひとつ見ていきましょう。

サンパウロのファンキ、Funk paulista

ファンキはもともとリオ・デ・ジャネイロのアンダーグラウンドで発展したダンス・ミュージックでした。それが「ポップ化(大衆化)」していき、2000年代になるとリズムやダンスも確立して、ブラジル国内外でひろく知られるようになった、というのが前回の記事のあらすじです。

2008年になると、サンパウロにもバイリ・ファンキが根付き、ファンキ・パウリスタ(Funk paulista)、直訳して「サンパウロのファンキ」が誕生します。このファンキ・パウリスタは、2010年代中頃になるとリオのファンキを圧倒する勢いを見せていきました。

サンパウロってどこ?

南米大陸の地図で、サンパウロの位置が示されています。大陸の東側がふくらんでおり、ふくらみの右下側、つまり南東側にサンパウロがあります。
サンパウロの位置

ここでちょっと地理の話をしておきます。

ブラジルの都市といえば、多くの人がまず最初に思い浮かべるのはリオデジャネイロではないでしょうか。リオデジャネイロは、人口674万人の都市です(2020年の統計)。

それに対してサンパウロは、人口1232万人で、ブラジル最大の都市となっています。リオから西に向かって360kmの距離に位置しており、この距離感を日本でたとえると、東京をリオとすれば名古屋がサンパウロ、というイメージです(ただし、ブラジルの首都はあくまでもブラジリアで、サンパウロ市の人口は東京都なみに多い)。

リオのローカルな文化が、巨大都市サンパウロに飛び火し、そこから一気に新たなファンキが生まれ、世界中に拡散されていった、というのがここからの内容のあらましになります。

見せびらかし系ファンキ、Funk ostentação

サンパウロのファンキとして最初に流行したのが、ファンキ・オステンタサゥン(Funk ostentação)でした。「ostentação」というのは「見せびらかし、派手、豪華」といった意味なので、「見せびらかし系ファンキ」とも訳せます。

その名の通り、歌詞やMVが「車、バイク、美女」であふれていて、「俺は成功してこんなもん手に入れたぜ、すげーだろ!」とたたみかけてくるのが、このジャンルの特徴です。

MC Guime – Plaque de 100 (Clipe Oficial – HD) – (Prod. DJ Wilton)

2012年の”Plaque de 100“(プラキ・ジ・セン)は、ファンキ・オステンタサゥンで一番成功したアーティスト、MC Guimê(エミセー・ギメ)のヒット曲。歌詞にもMVにも外車の「シトロエン」やバイクの「Kawasaki」が登場し、ビデオにカネと豪邸と美女が出てくるところも含め、とてもオステンタサゥンらしい作品だと思います。

こうも分かりやすくひけらかされると、「何かの広告か?」と警戒してしまいますよね(私だけでしょうか)。ただ、オステンタサゥンの本質は、「もともと富裕層ではなかったけれど、今では誰もがうらやむ暮らしをしている」というサクセス・ストーリーにあります。MC Guimêも、子どものころから働いて家計を助けていたらしく、自分の力でのし上がって富と名声を手に入れました。

「貧乏で生まれても、成功すればこれだけリッチな暮らしができる」。そういった「夢」のある世界観を、音楽やビデオで表現していたと言えるでしょう。

ファンキ・オステンタサゥンの流行とブラジルの経済発展

2010年代前半は、「ファンキといえばオステンタサゥン」というくらい、このような世界観のファンキが主流となっていきました。

もともとファヴェーラの暮らし──その中には性愛からギャングの抗争まで含まれる──を歌ってきたファンキですが、そういった「重い現実」から離れた「」のあるファンキ・オステンタサゥンは、新しいファンキとして歓迎されました。

この頃は2016年リオ五輪も控えており、ブラジルが経済的に豊かになって中産階級が台頭した時代とも重なるそうです。オステンタサゥンが流行した理由は、社会全体が豊かになってゆくことを実感した若者が「キラキラした消費生活」に引き付けられたからだ、という説もあります。

そのため、ブラジルが不況に陥っていくのと同時に、オステンタサゥンの流行は下火になったと言われています。

MC Dalesteの銃殺事件

この新しいサンパウロ産ファンキが全国的に注目されたのは、2013年7月に起こったMC Daleste(エミセー・ダレスチ)の銃殺事件がきっかけだったそうです。

MC Dalesteはファンキ・オステンタサゥンの中核をになうアーティストで、将来の活躍が期待されていたのですが、ライブの真っ最中に舞台上で銃撃され、20歳という若さで命を落としました。

センセーショナルな事件であったため、ブラジル全国で大ニュースとなり、サンパウロのファンキ・シーン自体も世間の関心を集めることになったようです。

なお、2022年には同じサンパウロ出身のGloria Groove(グロリア・グルーヴ)がMC Dalesteの曲をカバーしています(詳しくはこちらの記事をどうぞ)。

下ネタ系ファンキ、Funk ousadia

2015年になると、車やバイクについてはあまり触れず、ひたすら「下ネタ」を歌うファンキ・オウサジア(Funk ousadia)が流行していきます。「ousadia」は「大胆な」と言う意味です。

前回の記事でもふれましたが、ファンキというジャンル自体に、もともと下ネタ系の要素はありました。それでも敢えて、この時期のサンパウロのファンキが「オウサジア」と表現されるのは、「オステンタサゥン」という「夢の世界」と比べて、とても対照的だったからではないかと思います。別の言い方をすれば、「ファンキ・オウサジア」という言葉は、サブジャンル名というより、「この時期のファンキ・パウリスタは、高級車より下ネタが目立っていた」と総括するための言葉かもしれません。

MC João – Baile de Favela (KondZilla)

2015年の大ヒット曲、MC João(エミセー・ジョアン)の”Baile de Favela“(バイリ・ジ・ファヴェーラ)。サンパウロの路上バイレファンキ(「Fluxo」といいます)をテーマにしたビデオで、YouTubeで1億回の再生回数を記録した最初のファンキの曲となりました。

この曲は、きわどい歌詞であるにもかかわらず、大流行して公共の場でも流されたため、ずいぶんと賛否両論を呼んだようです。私の見解としては、「お金が無くても、音楽とエロはみんな平等に楽しめる」という一歩突き抜けた感じがして、ファンキ史に残る重要な一曲だと思います。

なお、この曲はネット上ではサブジャンルの「ファンキ・オウサジア」として分類されていません。爆発的にヒットし、純粋な「ファンキの曲」として有名になったからでしょう。ただ、歌詞は露骨な下ネタ系で、間違いなく2015年のサンパウロのシーンを代表する曲です。そのため、この記事ではオウサジアの項目で取り上げることにしました。

サンパウロのファンキを広めたKondZillaの影響力

こういったサンパウロのファンキが大流行したのは、KondZilla(コンジラ)の影響だと言われています

KondZillaはもともとミュージックビデオを製作するプロデューサーで、2012年からYouTubeチャンネルCanal KondZilla(カナウ・コンジラ)を開設し、サンパウロ産ファンキのビデオを世界中に発信していきました。このチャンネルの登録者数は、ブラジル最大であるだけでなく、ラテンアメリカ最大と言われています(2023年2月時点では6640万人)。

国内外の多くの視聴者が「コンジラがファンキの最先端」と思い、動画を次々と再生することで、ファンキ・パウリスタの流行に拍車がかかったのは、間違いありません。

なお、コンジラはサンパウロ以外のファンキも扱い、また別の潮流も作り出していくことになります。

MC Fioti – Bum Bum Tam Tam (KondZilla) | Official Music Video

2017年のMC Fioti(エミセー・フィオチ)の大ヒット曲、”Bum Bum Tam Tam“(ブンブン・タンタン)。このYouTube動画はブラジル国内で一番再生されたMVとして有名です。

2023年2月時点で17.6億回なので、本当に桁違いなことに驚かされます。そして、美女がたくさん出てくる、という所が、いかにもコンジラっぽいです。

サンパウロのRapシーン

サンパウロのラップのグループとして名高い「ハシオナイス・エミセース」のアルバムジャケット。
サンパウロのRapグループ、Racionais MC’s

ここで、「Funk」(ファンキ)からいったん離れ、「Rap」の話をしておきます。

サンパウロは、ブラジル国内で一番、「Rap」(ポルトガル語では「ハッピ」と読む!)と呼ばれるオールドスクール・ヒップホップがさかんな場所です。ラップ・バトルやサイファーがよく行われているらしく、伝説的なラップ・グループRacionais MC’s(ハシオナイス・エミセース)や、Emicida(エミシーダ)を輩出してきました。

そして、こうしたサンパウロ・ラップの代表的な王者たちは、社会批判をする硬派なラッパーで、「チャラさ」が皆無でした。私自信、「なぜブラジルのラップは硬派なものが多いのだろう?」という疑問をずっと持っていたのですが、それはサンパウロのラップシーンがもつ伝統のようです。

貧困や危険を生き抜いた威厳あるラッパーが、言葉の力で演説や詩のようなラップをする。そういった硬派な世界観に憧れる層Rapをやり、もっと気楽に楽しんで生きていきたい層FunkTrapをやっている、というのが最近の傾向だと思います。

こういった「住み分け」があったからこそ、サンパウロが「チャラい」ファンキの発信源となったのではないかという説もあり、私も同感です(この場合の「硬派」とは社会に批判的な姿勢であり、「チャラさ」は社会でうまく楽しんでいこうとする楽観主義のことです)。

もちろん、サンパウロにも内省的な心情や社会派のテーマを扱うFunkのアーティストはいますし、RapのアーティストがFunkをやったり、FunkのアーティストがTrapをやったりしていて、ジャンルの境界はそこまで厳密ではありません。

たとえば、MC Guimê(エミセー・ギメ)Emicida(エミシーダ)がコラボした”País do Futebol“(パイス・ド・フチボウ、「サッカーの国」)は、ジャンルを超えて生まれた記念碑的な作品です。2014年のワールドカップ・ブラジルをひかえ、ネイマールに捧げられた曲で、動画では1分15秒のところから音楽が始まります。

MC Guime – País do Futebol Part. Emicida (Videoclipe Oficial)

レイヴのファンキ、 Funk mandelão

2010年代、YouTubeでKondZilla系のキラキラしたミュージックビデオが大反響をよぶ一方で、サンパウロのアンダーグラウンドでは、また別の潮流が生まれていました。

その名も「ファンキ・マンデラゥン」(Funk mandelão)「ハーヴィ・ファンキ」(Rave funk)「ファンキ・ハーヴィ」(Funk rave)といった呼び方もあり、まだジャンル名や評価が定まっていないようです。

ファンキ・オステンタサゥンやオウサジアが歌詞やMVの「世界観」による分類だとすると、マンデラゥンは「音楽」に特徴があります。一言でいえば、欧米のエレクトロニック・ミュージックに影響を受けた「テクノみたいなファンキ」で、重低音が過剰なのが特徴です。

2016年にDJ GBR(ディージェー・ジェーベーエヒ)がやり始めたと言われています。

DJ GBR Show Ao Vivo – TUSCA 2019

この動画は2019年のDJ GBRのライブ映像です。重低音がきいたミニマルなテクノのようなサウンドで、ブラジルだと言われなければ国籍が一瞬分からないような、インターナショナルなダンスミュージックだと思います。

こういったファンキが生まれた背景には、2010年代から流行した新しい形態の「バイリ・ファンキ」、すなわちファンキのパーティーがあったようです。

アンダーグラウンドなシーンの事情は分からないことが多いのですが、広告を出さずにSNSや口コミで集まり、空き地道路で開かれるファンキのパーティーを「フルクソ」(Fluxo)「バイリ・ド・マンデラ」(Baile do Mandela)というようで、こういった路上パーティーの音楽として「マンデラの音楽」、「ファンキ・マンデラゥン」(Funk mandelão)が生まれたと言われています。なお、「バイリ・ド・マンデラ」は当初、サンパウロの特定のイベント名だったようですが、今となっては各地でバイリ・ド・マンデラと呼ばれるパーティーが開かれているもようです。

欧米や日本だと、こういったパーティーは「レイヴ」と呼ばれるのが一般的なので、「ハーヴィ・ファンキ」(Rave funk)という名前のほうがしっくりくるかもしれません。ただ、ブラジルの「フルクソ」は、人里離れた場所でおこなわれるレイヴとは違い、市街地で開催されます。そして、この路上パーティーで大活躍するのが、壁のような特大サウンドシステムparedãoです。

「パレダゥン」(paredão)、直訳して「巨大な壁」と呼ばれる特大スピーカーは、歴史をたどれば1940年代ジャマイカにルーツがあるらしく、ブラジルの屋外ライブ文化に大きな影響を与えてきました。この「パレダゥン」から爆音で音楽を流し、道路を占拠して一晩中パーティーをやるという音響の事情から、重低音のきいたテクノのようなファンキが流行したという説もあります(パレダゥンについて、詳しくはこちらの外部記事がオススメです)。

パレダゥンあってのファンキ・マンデラゥンだとすると、このサブジャンルは重低音を最大限に出力して楽しむのが流儀なのかもしれません。

ファンキ・マンデラゥンのようなサウンドは、DJ GBRをまたずとも、欧米のクラブミュージックに影響を受けたアーティストたちがエレクトロニック系のファンキ(Eletrofunk)としておのずとやっていたのではないかという気もします。とはいえ、サンパウロのアンダーグランドなバイリ・ファンキから新たなトレンドが発信されたというのは、KondZillaのような「商業的なファンキ」との対比で記録しておくべきことでしょう。

ちなみに、ファンキ・マンデラゥンという新しい流行は、KondZillaレーベルからも発信されています。2020年のヒット曲で、再生回数からも影響力の強さが分かります。

MC Niack – Oh Juliana (kondzilla.com)

AnittaのデビューとFunk popの時代

Anittaの衝撃的なデビュー

ここでサンパウロの話はいったん終わりにし、次のトピックに移りましょう。

2010年代は、メインストリームのポップスでもファンキが大流行した時代で、Anitta(アニッタ)はそんな時代を象徴する存在でした

リオデジャネイロで生まれ育ったAnittaは、YouTubeへの投稿動画がFuracão 2000(フラカゥン・ドイスミウ)のプロデューサーの目に留まってデビューしており、まさに「ファンキ界の新星」だったと言えます。

Anitta – Meiga e Abusada (Official Music Video)2012/12/19

2012年にファンキ風のポップス”Meiga e Abusada“(メイガ・イ・アブサーダ)がヒットすると、翌年にはWarner(ワーナー)と契約(ここに貼ったMVは、移籍後に撮影されています)。メジャーデビューしてすぐに”Show das Poderosas“(ショウ・ダス・ポデローザス)が大ヒットし、これ以降ブラジル・ポップスの頂点に立つ女性歌手として流行の最前線を走り続け、2023年に至ります。

Multishow賞に見る「ファンキの大衆化」

Anittaの人気を振り返るために、ブラジルのテレビ局主催の音楽賞であるMultishow(ムウチショウ)賞の変遷を見てみましょう。この賞は、ブラジル・ポップスの潮流をとらえる上で、ひとつの指標となります(詳しくはこちらの記事をご覧ください)。

この賞では、2012年以前だとファンキのアーティストがノミネートされていません(2012年にBonde do Rolêがノミネートされていますが、ファンキにはカウントしないでおきます)。

そんな中で、2013年にはAnittaの”Show das Poderosas”が「キャッチ―な曲」部門と「最優秀ビデオ」部門を受賞。この曲自体はファンキというよりも、ビヨンセに憧れる「強い女」のポップスですが、ファンキ出身のアーティストとして歴史的な快挙でした。

ちなみに2013年は、他にもファンキがノミネートされており、2014年になると、ベテランのValesca Popozudaサンパウロのファンキのアーティストがたくさんノミネートされるようになります。こうしたノミネーションの傾向を見ても、ファンキが大衆的な支持を得るようになった時代の転換点に、ちょうど登場したのがAnittaだったと言えます。

「ガチのファンキ」よりも親しみやすく、従来のポップスやFunk melodyよりも「刺激的」。そんな「ポップなファンキ」(Funk pop、ファンキ・ポッピ)の時代が、Anittaのデビューと共に始まりました。

Anittaとファンキ

Anittaはデビューした瞬間から、ブラジル・ポップスの頂点に立つ女性歌手として流行の最前線を走り続けてきました。

早い段階から世界進出をめざし、欧米やラテンアメリカのトレンドを取り込んだ曲をたくさん歌ってきたので、実はファンキの曲は比較的少ないのですが、スタジオアルバムには必ずファンキの曲が入っており、コーチェラMTV VMAsのような国際的な舞台でもファンキを忘れずに演奏しています。

Anitta, Lexa, Luisa Sonza feat. MC Rebecca – Combatchy [Official Music Video]

2019年の”Combatchy“(コンバッチー)は、Lexa(レシャ)Luísa Sonza(ルイーザ・ソンザ)Rebecca(ヘベッカ)という、Funk popのトップ・アーティストを集結させたヒット曲で、前年から流行していた「Funk BPM150」の曲でもあります。MVのトゥワーク・バトル(?)が面白くて、定期的に見返したくなる作品です。

黒人女性のファンケイラ、Ludmilla

Anittaとほぼ同時期にデビューしたLudmilla(ルジミーラ)も見逃せません。Ludmillaは2012年頃、ファンキの天才少女としてYouTubeで注目を浴びてからデビューしており、黒人女性としてポップスで成功した稀有な存在です。

Beyoncé(ビヨンセ)の熱烈なファンで、メジャーデビュー前はMC Beyoncéと名乗っていました。LudmillaにしてもAnittaにしても、ビヨンセに憧れる「強い女」たちが、ブラジルポップスとファンキの新時代を切り開いていったのは、特筆すべきことだと思います。

LUDMILLA – Cheguei (Clipe Oficial)

高速ファンキ、Funk 150BPM

Funk paulista(サンパウロのファンキ)やFunk pop(ポップなファンキ)が商業的に成功し、華やかなYouTube動画を次々とリリースする一方で、ファンキの本家本元であるリオデジャネイロのアンダーグラウンドでは、「踊るための音楽」という原点に回帰した新しいファンキ、「Funk 150BPM」が生まれました。

ファンキ150BPMは、その名の通りBPM(1分間の拍数)が150以上の高速のファンキのことです。もともとファンキのBPMは130くらいだったのですが、2017年にDJ Polyvox(ポリヴォクス)が150まで高速化し、それから一気にBMP150以上がファンキのトレンドとなっていきました。

Rennan da Penha(ヘナン・ダ・ペニャ)が創設したパーティー、Baile da Gaiola(バイリ・ジ・ガイオーラ)が高速ファンキの「発信源」となり、このパーティーからMC Kevin o Chris(エミセー・ケヴィン・オ・クリス)のようなアーティストが誕生しています。

2018年のMC Kevin o Chrisの曲で、タイトルは「俺はバイリ・ジ・ガイオーラに行く」。朗誦のようなヴォーカルから始まり、シンプルながら野性味あふれるドラム音がカッコよく、ここ数年のファンキの中でも私が特に好きな一曲です。

サンパウロ勢に対抗するダンスミュージック

高速ファンキが誕生するきっかけとなったのは、DJ Polyvoxの子供の「音遊び」でした。5歳の息子がコカ・コーラの瓶でドアを叩いて遊んでいたので、その音をサンプリングして偶然150BPMになったトラックをパーティーでかけたところ、ダンスフロアで大反響を呼んだそうです。

こちらの外部記事を読む限り、DJ Polyvoxはサンパウロのファンキに対抗意識を持っていて、リオデジャネイロで純粋に踊るためのファンキをやっていることを誇りに思っている印象を受けます。こうした「サンパウロのファンキ」に対する「リオデジャネイロのファンキ」というライバル関係からFunk150BPMが生まれたとすると、とても面白い話ですよね。

高速化がファンキのトレンドに

150BPMまで高速だと歌いにくいのではないかという気がしますが、MC Kevin o Chris(エミセー・ケヴィン・オ・クリス)は、独特のリラックスした歌声で、ジャンルの幅を広げていきました。

MC Kevin O Chris – Vai Rebola Pro Pai – Ela É Do Tipo (Clipe Oficial)

Ela é do Tipo“(エラ・エ・ド・チポ)は2019年3月にリリースされ、ブラジル国内にとどまらず世界的に大ヒットした曲です。Spotifyのブラジル国内チャートで1位を独占しただけでなく、グローバルチャートでも10位にのぼりつめました。

こうしたヒット曲もあり、150BPM以上のスピードがファンキのトレンドとなって、2023年に至ります。

ノルデスチのファンキ、Brega Funkの流行

南米大陸の地図で、レシフェの位置が示されています。大陸の東側がふくらんでおり、ふくらみの右側の頂点、つまり東の最先端にレシフェがあります。リオデジャネイロやサンパウロよりもはるか北で赤道に近いです。
Brega funk発祥の地、レシフェ

ようやく最後のキーワードにたどりつきました。最後まであと少しです!

ブレーガ・ファンキ(Brega Funk)は、これまで見てきたファンキとは違って、ブラジル北東部(ノルデスチ)の音楽にルーツをもちますノルデスチの打ち込み系ダンス・ミュージックに、ファンキの歌詞や世界観が持ち込まれて出来上がった音楽で、2010年代、ペルナンブーコ州のレシフェで誕生しました

このブレガファンキが全国的な注目を浴びたのは、2018年にKondZillaレーベルでリリースされた次の曲がきっかけだったようです。

MC Loma e as Gêmeas Lacração – Envolvimento (KondZilla)

Envolvimento “(エンボウヴィメント)は、MC Loma(エミセー・ロマ)と、そのいとこの双子姉妹のダンサーによる曲で、2018年にブラジル全土で大ヒットしました。

翌年の2019年以降は、ノルデスチ出身でないMC Kevin o Chris(エミセー・ケヴィン・オ・クリス)Pedro Sampaio(ペドロ・サンパイオ)Pabllo Vittar(パブロ・ヴィター)といったファンキやポップスのアーティストもブレーガ・ファンキをやり、チャートを賑わすようになります。ブレーガファンキは、もはやポップスの一つの流行となったと言えるでしょう。

Pabllo Vittar feat. Psirico – Parabéns (Official Music Video)

ブラジル北部出身のドラァグクイーン、Pabllo Vittar(パブロ・ヴィター)が歌う”Parabéns“(パラベンス)は、Psirico(ピシリコ)をゲストに迎えたブレーガ・ファンキの一曲です。2019年にリリースされています。

最後に

かなり長い記事になってしまいましたが、ここまで読んで下さりありがとうございます。

最初にも書きましたが、この記事は、ブラジルに行ったこともない私がネットの記事やSNSの情報をもとに書いた「まとめ記事」です。慎重に検証したつもりですが、事実誤認もあると思います。誤りに気づき次第、加筆修正していくつもりなので、ご了承ください。

また、「サンパウロ、アニッタ、BPM150、ブレガファンキ」というキーワードも、あくまでも日本に住みブラジルポップスを楽しむ私の視点から見た、ひとつの「見方」に過ぎません。エレクトロニック・ミュージックのEletrofunkの伝統や、ブラジル南部のMega funkに触れていませんし、見落としている観点がまだまだたくさんあると思います。

そして、知らないことがまだまだあってワクワクするからこそ、私はブラジル音楽を聴いているのかもしれません──。

なにはともあれ、ひとつの「見取り図」として、この記事がこれからファンキやブラジルポップスを聴いてみたいという方のお役に立てば嬉しいです。

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