ブラジルの女性アーティストは、おばあちゃんになってもかっこいい!
こんにちは、ヨシイタケコです。私事ですが、40歳を目前にして、白髪が増えてきたり、ぎっくり腰になったり(激痛!)、自分の「老い」を実感することが増えました。
歳をとれば体力は衰えるもの。ガンのような大きな病気をしたり、大切な人と死に別れることもあるでしょう──。
そんな暗い不安を吹き飛ばすために、この記事では、ブラジル音楽界の「カッコいいおばあさん」をまとめてみました。
生涯現役で活躍されている女性アーティストは国を問わずたくさんいますが、ブラジルのおばあちゃんたちには、「歳をとるのが楽しみ」とまで思わせるような、不思議なパワーがあるんです!
シワや白髪も魅力的に見せてしまう風格。70代・80代になっても「攻め」の姿勢で、新しいことにチャレンジする精神。どんな困難があっても「こんなふうにポジティヴに歳をとれる!」という、シニアのロールモデルだと思うので、ブラジル音楽を普段聴かない人も、読んでいただけると嬉しいです。
なお、記事のテーマ上、アーティストの女性としての生き方に注目した内容になります。また、それぞれのアーティストについて、一番有名な曲と共に、年老いてからリリースされた曲もあわせて紹介していこうと思います。
高齢のカッコいい女性アーティストまとめ
Rita Lee【1947/12/31~2023/5/8】
Rita Lee(ヒタ・リー)とは?
「ブラジル・ロックの女王」、Rita Lee(ヒタ・リー)。南米サイケデリック・ロック界の伝説のバンド、Os Mutantes(オス・ムタンチス)全盛期のメンバーであり、脱退後はソロで活躍して、ロック、ポップスのヒット曲を世に送り出してきました。
結婚、離婚、事実婚
Os Mutantes(オス・ムタンチス)時代のRita Lee(ヒタ・リー)は、バンドリーダーのArnaldo Baptista(アルナウド・バプチスタ)と結婚していました。
ところが結婚生活の破綻とともに、バンドを追い出されてしまいます。
ソロで活動していくことになったヒタ・リーは、新しい仲間を集め、バックバンドTutti Frutti(トゥッチ・フルッチ)を結成。「Rita Lee & Tutti Frutti」名義で”Fruto Proibido“(フルート・プロイビード、禁断の果実)のような名盤をリリースし、「女のロック・スター」として不動の地位を確立しました。
そんな中で、Tutti Fruttiの新メンバーRoberto De Carvalho(ホベルト・ジ・カルバーリョ)と付き合い始め、1976年に同棲を開始。ヒタ・リーとホベルトのパートナーシップは、私生活でも音楽活動でも、今に至るまで続いています(1996年に正式に結婚)。
金髪、赤毛、白髪
Rita Lee(ヒタ・リー)は20代の頃ブロンドでしたが、30代以降は髪を真っ赤に染め、赤毛がトレードマークのポップ・スターとして活躍していました。
ところが60代になり、体力の衰えを理由にステージからの引退を宣言。髪を赤く染めるのも止め、白髪のままにするようになりました。
表舞台からは遠のいたものの、ロックでチャーミングなおばあちゃんとしてSNSで支持され、インスタグラムのフォロワー数は、98.7万人を誇っています(2023年2月6日時点)。
聴いてみてほしい曲
“Agora Só Falta Você“(アゴラ・ソ・ファウタ・ヴォセ)。Os Mutantes(オス・ムタンチス)脱退後、1975年にリリースされたアルバム、”Fruto Proibido“(フルート・プロイビード)に収録されている、ブラジル・ロックの名曲です。
歌の始まりは、「ある晴れた日、私は変えようと決めた/それで、やりたいことを全部やる」。曲のタイトル”Agora Só Falta Você”は、サビの歌詞でもあり、「今はただ、あなたがいないだけ」という意味です。誰かと別れた後、新しい人生を歩みだす女の、ポジティヴな気持を歌っています。
2021年の”Change“(シャンジュ)は、引退宣言から9年ぶりの新曲でした。ヒタ・リーは73歳、ギターを弾く夫のホベルトは68歳で、Gui Boratto(ギ・ボラット)のアレンジによって、今風のダンスポップに仕上がっています。
MVはとにかく楽しい雰囲気で、夫婦で仲が良さそうなのが伝わってきますよね。ただ、実はこの曲、5月にヒタ・リーの肺癌が見つかった直後に制作され、9月にリリースされています。もしかすると、いろいろな覚悟の上に作られた作品なのかもしれません。
放射線治療と免疫療法の末、2022年4月に癌は完治したとのこと。まだまだ長生きしてほしい「おばあちゃんのカリスマ」だと思います。
【2023/5/10追記】
2023年5月8日、ヒタ・リーが亡くなりました。本人の希望どおり、自宅で家族に見守られながら最期の時を迎えたそうです。享年75歳でした(g1、Globo、2023/5/9)。
ここで紹介した曲”Change“は、ヒタリーの遺作となってしまいました。フランス語と英語をまじえ「どうして?という疑問を変えよう」と歌う歌詞は、どうしてもう旅立ってしまったんだろう、もっと長生きしてほしかった、と悲しむ気持を慰めてくれるような気がします。歌詞の一部を私訳と共に載せておきます。
"Never ask yourself and quickly say no Have you ever thought that life is only a game? You wonder if the universe is an illusion (Sorry!) From life to death just like a blazing flame" 自分にきいてすぐ「ノー」とこたえないで 人生はゲームみたいなものに過ぎないって、考えてみたことはある? あなたもこの宇宙は幻かもしれないって思っているでしょ (ごめん) 燃えさかる炎のように、生きてそして死ぬ Rita Lee, "Change"
Alcione【1947/11/21~】
Alcione(アルシオーネ)とは?
Embed from Getty Images現役で活躍するサンバの女性歌手の最高峰、Alcione(アルシオーネ)。
世界中に名の知られる有名なミュージシャンでありながら、20代後半で子宮筋腫のため子宮全摘手術を受けており、歌手生命をおびやかす喉の腫瘍や、心臓病と戦いながらキャリアを歩んできました(Splash、2022/11/20)。
結婚はしないで、その時に好きな男性とだけ付き合うという生き方、そして、姪や甥を我が子だと思って愛するという生き方もふくめて、最高にカッコいい女性だと思います。
聴いてみてほしい曲
Não Deixe o Samba Morrer(ナウン・デイシ・オ・サンバ・モヘール)は、Alcione(アルシオーネ)の中で一番有名なサンバの名曲です。1975年リリースの”A Voz do Samba“(ア・ヴォス・ド・サンバ)収録曲で、大ヒットしました。日本でも「愛のサンバは永遠に」という題でカバーされています。
明るく艶のある歌声で、一度聴くと記憶に残りつい口ずさんでしまう、クセになる一曲です。
“Você Me Vira a Cabeça“(ヴォセ・ミ・ヴィラ・ア・カベーサ)は、2004年のアルバム”Faz uma Loucura por Mim“(ファス・ウマ・ロウクーラ・ポル・ミン)に収録されている曲。最近のアルシオーネの曲の中でも特に愛されているナンバーで、Iza(イザ)やLudmilla(ルジミーラ)、Luísa Sonza(ルイーザ・ソンザ)ともデュエットし、Urias(ウリアス)もカバーしています。
ここに貼った動画は、2012年のライブアルバム、”Duas Faces Ao Vivo na Mangueira“(ドゥアス・ファシス・アオ・ヴィーヴォ・ナ・マンゲイラ)のバージョンです。若い頃とはまた違う、歳をかさねて懐の深さを増した歌声を聴くことができます。
Gal Costa【1945/9/26~2022/11/9 享年77歳】
Gal Costa(ガル・コスタ)とは?
Embed from Getty ImagesGal Costa(ガル・コスタ)は、1960年代のトロピカリア・ムーブメントを主導し、それ以降もMPBの頂点に立つアーティストとして活躍してきました。ボサノバからアヴァンギャルドなロック、ポップスまで、数々の名曲を歌い続けてきたディーヴァです。
私生活については明かさないスタイルでしたが、10代で卵管機能不全を発症し、妊娠できないことにずっと悩んでいたようです。そして還暦を過ぎた2007年、2歳の孤児を引き取り、養子として育てていました。インタビューでは、その子が「養子」ではなく「息子」だと強調し、「子供はこの世界で最高の存在」と語っています(Splash、2022/11/9)。
歳をとってからも、いろいろなアーティストと野心的にコラボし、新作を出していましたが、2022年11月に急逝。世界中のファンを悲しませました。
聴いてみてほしい曲
Caetano Veloso(カエターノ・ヴェローゾ)が作曲し、Gal Costa(ガル・コスタ)が歌ったMPBの名曲。トロピカリアの聖典ともいえるコンピレーション、”Tropicália Ou Panis Et Circense“(トロピカリア、またはパンとサーカス)や、ガル・コスタのアルバム”Gal Costa“(ガル・コスタ)に収録されています。透き通った天使のような歌声です。
Silva(シルヴァ)とOmar Salomão(オマール・サロマウン)が作曲し、2018年のガル・コスタのアルバム”A Pele do Futuro“(ア・ペリ・ド・フトゥーロ)に収録された曲。
YouTubeの動画は、2019年リリースのライブ版“A Pele do Futuro Ao Vivo“(ア・ペリ・ド・フトゥーロ・アオ・ヴィーヴォ)のものです。若い頃の透明感ある声とは違う、ロックでソウルフルな歌声で、年老いたからこそできる力強い表現の曲だと思います。
Leci Brandão【1944/9/12~】
サンバの女性アーティストとして屈指の存在であり、現在は政治家としても有名なLeci Brandão(レシ・ブランダン)。1970年代、リオデジャネイロの名門サンバリーム、マンゲイラ(Mangueira)で初の女性作曲家となり、歌手としても数々の歌を世に送り出してきました。
一方で、大学の法学部を卒業しており、黒人、女性、LGBTQのために戦う社会活動家としても活躍。ブラジル共産党に所属し、2010年にサンパウロ州議会議員に当選して以来、4年ごとの総選挙のたびに再選を果たしています。
1978年には、軍事政権で同性愛嫌悪が強い時代にあって、レズビアンであることを公表(外部サイトのPDFで当時の記事が全部読めます)。
政治家としては、最近だと「生理の貧困」の問題に取り組み、フードバンクや公立学校に生理用品を配布するプロジェクトをおこなっているようです(Marie Claire、2020/1/24)。
聴いてみてほしい曲
レシの一番有名な曲で、Seu Jorge(セウ・ジョルジ)やMariana Aydar(マリアナ・アイダル)、Anitta(アニッタ)にもカバーされてきたサンバの名曲。
サビの歌詞は「新しいリーダーが生まれる、モホ・ド・パウ・ダ・バンデイラで」。モホ・ド・パウ・ダ・バンデイラとは、リオに実在するファヴェーラ(スラム街)の名前で、曲のタイトルZé do Caroço(ゼー・ド・カローソ)も、そこに住む実在の人物のあだ名です。
軍事政権時代、貧困ゆえに天気や医療などの情報に乏しいファヴェーラの住民にむけて、ゼー・ド・カローソは屋根にスピーカーを設置し、独自の町内放送をおこなっていたそうです。ところが、近隣に住む軍人の妻が、テレビドラマの視聴の妨げになるとして、その放送を止めさせるよう警察に通報。この一連の事件を人づてに聞き、レシ・ブランダンは”Zé do Caroço”(ゼー・ド・カローソ)を作曲しました。
歌詞が反体制的なため、軍事政権時代はリリースすることができず、民主化の後ようやく発表できたようです(詳しくはこちらの外部記事をどうぞ)。
Favela Vive(ファヴェーラ・ヴィヴィ)は、ファヴェーラの実情をラップで表現する企画で、ここに貼った動画は、その第5回目です。男たちの激しいラップが続き、最後に「長老の賢者」のようなレシが登場します。
レシが言っている「Quem mandou matar Marielle?(マリエルを殺させたのは誰だ?)」というフレーズは、リオデジャネイロ市議の黒人女性、Marielle Franco(マリエル・フランコ)が暗殺されたことに抗議するスローガンです。
Embed from Getty Imagesマリエル・フランコは、ファヴェーラにおける警察の暴力を政治家として追及していた中、銃撃を受けて命を落としました。レシ・ブランダンは、”Zé do Caroço”の歌詞を引用し、「新しいリーダーが生まれた」とマリエル・フランコの功績をたたえつつ、暗殺事件が闇に葬られていることを批判しています。
2023年の”Favela Vive 5″は、アーティストとしても政治家としても、一貫して公正さを求めてきたレシの、言葉の重みが感じられる作品だと思います。
Elza Soares【1930/6/23~2022/1/20 享年91歳】
Elza Soares(エルザ・ソアレス)とは?
波乱万丈の人生を送ったサンバ歌手、Elza Soares(エルザ・ソアレス)は、老年になってアヴァンギャルドな表現で開花し、世界中の音楽ファンを魅了しました。
波乱万丈の人生
エルザの生涯は、ブラジル版Wikipediaで読むだけでも、衝撃的です。
ファヴェーラの貧しい家に生まれ、児童婚を強制され、たくさんの子供を産み、そのうち2人を栄養失調で失い、DV夫は結核にかかり、娘を誘拐されて生き別れとなり…。
そんなことがあり、夫と死別した20代になってから、サンバ歌手としてデビューしています。
成功を収めたものの、サッカー選手のガヒンシャと不倫のすえ結婚すると、世間からのバッシングにさらされ、匿名の脅迫を受け、家を襲撃され…。
Embed from Getty Images結婚の翌年には、夫ガヒンシャの運転する車が衝突事故を起こし、同乗していたエルザの母親が事故死。
ガヒンシャは酒浸りの生活を送るようになり、海外移住などもむなしく、アルコール依存症が悪化。DVも始まり、エルザとガヒンシャの間にうまれた唯一の子供である息子、ガヒンシーニャにまで暴力が及んで、1982年に離婚。
離婚の翌年、ガヒンシャは肝硬変で亡くなり、1986年には息子のガヒンシーニャも交通事故によって命を落としています。
こうした人生の危機を何度も乗り越えながら、エルザはレコードを出し、ツアーで世界各地を回って、仕事に生きてきました。
70代になってからの新境地
──と、ここまでの話は「悲劇」のようですが、70歳を迎えた2000年以降、エルザ・ソアレスは新たな境地に入っていきます。
2000年、なんと47歳年下の恋人と結婚。
2008年には、52歳年下の恋人と結婚。
こうした結婚のかたわら、若者の音楽を吸収したエルザは、どんどんアバンギャルドな表現に取り組むようになり、数々の名盤が生み出されました。
「70代、80代になって、ここまで尖った作品を作れるのか」という驚きと、「さすが、言葉の重みや歌声の迫力が違う」という驚き。こんなアーティストを、私はまだ他に知りません。
聴いてみてほしい曲
Lupicinio Rodrigues(ルピシニオ・ホドリゲス)作曲の”Se Acaso Você Chegasse“(シ・アカーゾ・ヴォセ・シェガッシ)を、エルザ・ソアレスが歌った1960年のレコード。力強い声と歌唱力に圧倒されますが、最大の聴き所は、間奏で「ババビボババビボ~♪」と歌いだすところではないでしょうか。ルイ・アームストロングのスキャットような歌い方ですが、エルザはルイ・アームストロングを知らず、自然と歌っていたそうです。
2016年リリースされた晩年の名作、”Mulher do Fim do Mundo“(ムリェール・ド・フィン・ド・ムンド、世界の終わりから来た女)の表題曲です。
歌詞は、「世界の終わりから来た女、それが私/私はおしまいまで歌う」というもの。ムジカテーハさんの記事でも書かれているように、80代をむかえたエルザは、「アーティストとしての絶頂期なのではないかと思わせられる」ような魅力に溢れていました。
最後に
ここまで、ブラジル音楽界に功績を残し、歳をとってからも新しいことに挑戦し続ける(続けた)年配の女性歌手を紹介してきました。
大病を患っても、愛する人と死別しても、自分のスタイルで生き、新しい音楽を生み出す彼女たちの姿は、「老いることを恐れなくていい」と教えてくれているようです。
歳をとっていくのは、楽しいこと。そんな明るい気持が、この記事を通してシェアできれば嬉しいです。