ブラジルのFTMアーティスト、Nick Cruz(ニッキ・クルス)

Nick Cruz アーティスト紹介
スポンサーリンク

はじめに プライド月間に聴きたいアーティスト

プライドパレードの写真。町の大通りにたくさんの人がつめよせ、LGBTQのシンボルである虹の旗を振っています。
Foto de Margaux Bellott en Unsplash

6月はプライド月間です!

それにあわせて、Twitterで毎日、LGBTQのアーティストを一人ずつ紹介するという企画を勝手にやっています。

この企画に取り組んでいて、私自身、漠然としか知らなかったアーティストのことをもっと詳しく知ったり、聴いたことのなかった名曲に出会ったりして、一人でプライド月間を満喫しています。

そんな中、「この人については、もっと広く知られてほしい」と思うアーティストについて、ブログ記事にまとめておくことにしました。まだデビューして間もない新人の、Nick Cruz(ニッキ・クルス)です。

Nick Cruz(ニッキ・クルス)とは、誰?

バイオグラフィー

Nick Cruz(ニッキ・クルス)はエスピリト・サント州出身のシンガーソングライター。R&B寄りのしっとりしたブラジリアン・ポップスを歌っています。

2019年に自作の曲”Me Sinto Bem”(ミ・シント・ベン)をYoutubeで公開すると、記録的な再生回数を記録し、Warner Music Brasil(ワーナー・ミュージック・ブラジル)と契約

2021年にはMTV Millennial Awards Brasil(MTVミレニアル・アワード・ブラジル、MTV MIAW BR)で「PRESTATENÇÃO」(プレスタテンサン)部門にもノミネートされています。この部門は、ポルトガル語で”prestar atenção”(プレスタル・アテンサン)が「注目する」という意味なので、日本語にするなら「注目」部門。ニッキ・クルスは、まさに今「注目の新人」だと言えるでしょう。

なお、年齢に関しては、たぶん1997年生まれだと思うのですが、詳細は確かめられませんでした。

トランス男性(FTM)のアーティスト

ニッキ・クルスは、ブラジルでも珍しいトランス男性(FTM)の性別移行過程にあるアーティストです。

FTM(エフ・ティー・エム)とは、Female to Male(フィメール・トゥー・メール)の略で、出生時に割り当てられた性別が女であるものの、性自認が男であるトランスジェンダーのこと。

ちなみにブラジルでは、トランス女性(MTF)のアーティストは珍しくなく、Liniker(リニケル)Linn Da Quebrada(リン・ダ・ケブラーダ)のような知名度の高いスターがメインストリームで活躍しています。最近のブラジリアン・ポップスをよく聴いている私の印象としても、曲や名前を知っているアーティストについてバイオグラフィーを読んでみて、初めて「この人トランスだったんだ」と知ることがよくあります。

そんなブラジルでも、女性から男性への性転換をしたアーティストや、性別移行の途中であることを公表し、それを歌にしているアーティストは、いたのかもしれませんが、私は知りませんでした。

まずはこの曲から! ”Sol No Peito”(ソウ・ノ・ペイト)

性別移行の過程

前置きが長くなりました。2021年5月リリースされた“Sol No Peito”(ソウ・ノ・ペイト)という曲を紹介します。

Nick Cruz – Sol No Peito (Clipe Oficial)

ニッキ・クルスは、この曲の1年半前からホルモン療法を始め、トランジション(性別移行)を開始しています。乳房切除の手術、いわゆる「胸オペ」を受ける予定だけれど、まだ実現していない状態。その心情を歌にしたのが、この曲です。

“Sol No Peito”(ソウ・ノ・ペイト)の歌詞

曲のタイトル”Sol No Peito”(ソウ・ノ・ペイト)は、「胸に浴びる陽」という意味。サビの部分の歌詞を訳してみました。

Só quero mudar de nome

Só quero paz e respeito

Só quero viver na sombra depois de tomar Sol no peito

Que minha mãe não me ligue

Preocupada com a minha vida

Oi filho, você tá vivo? Me conta como foi seu dia

名前を変えたいだけ

平穏と敬意が欲しいだけ

胸に陽を浴びた後で、陰の中で生きていきたいだけ

私の人生を心配してお母さんが電話してこないように

「息子よ、元気にしている?今日はどうだったか教えて」

“Sol No Peito”

「”paz e respeito”(パス・イ・ヘスペイト)が欲しいだけ」という部分があるのですが、このポルトガル語は「平穏と尊厳」とも、「平和と尊敬」とも訳せます。”Sol”(ソウ)は「太陽」「日光」「陽のあたる所」という意味で、”sombra”(ソンブラ)「影」と対になっており、胸を隠さないで暮らしたい、そして、ただ安全に暮らしたい、という切実な願いがそのまま歌詞になっています。

MVのロケ地

この曲は、ビデオクリップも必見です。

MVのロケ地となった絶景の崖は、リオデジャネイロPedra Bonita(ペドラ・ボニータ)という観光名所。眼下にリオの美しい海岸がひろがっていて、すごく開放感のある場所です。

でもその海岸は、特定の人にとっては地獄のような場所でもあるでしょう。特に、ブラジルでは男女とも露出度の高い服装が普通です。乳房切除をしていないFTMにとって、リオのビーチの居心地は最悪だろうと思います。

そういう葛藤はあるけれど、崖の上から、海岸にいる人には見えない、はるかに美しい景色を俺は眺めているぞ、という明るい雰囲気もこのMVからは感じられる気がします。

インタビュー記事より 何百万の人から成る少数派

トランスジェンダーという文字が並んだ写真。
Foto de Sharon McCutcheon en Unsplash

“Sol No Peito”をリリースするにあたって、ブラジルのテレビ局Globo(グローボ)系ウェブメディアExtra(エストラ)のインタビューに答えています。

マイノリティゆえの、ロールモデルがいないことの困難や、そんな現状を変えたいと思っている信念が語られているので、訳してみました。

Eu, enquanto artista trans, não tive um pilar para me inspirar 100% e passei por muitas questões sozinho. Hoje, inclusive, recebo muitas mensagens de meninos trans que estão iniciando o processo de transição e dizendo que essa música foi muito importante para saber que ele não está sozinho. A identificação com a música salva vidas. Nós somos uma minoria, mas uma minoria composta por milhões de pessoas trans. Então, a gente precisa dar as mãos e se mostrar e cada vez. A gente precisa se acolher.

トランスのアーティストとして、私には100%自分を鼓舞してくれる支えみたいな存在がいなくて、たくさんの問題を一人きりで抱え込んでいました。今でも、トランスの子供たちからたくさんのメッセージをもらっているんですが、彼らは性別移行を始めようとしていて、自分が一人だけじゃないと知るためにこの曲が本当に重要だったと言ってくれます。曲と自分を重ねることで、人生が救われる。私たちは少数派だけれど、何百万ものトランスの人たちで構成されている少数派です。だから、何度でも手を取り合って、自分たちの存在をアピールする必要があります。私たちはお互いを受け入れる必要があります。

Extra, Globo(2021/6/1)

少数派だけれども、何百万ものトランスの人たちから成る少数派、という言葉が、とても印象的です。

“A identificação com a música salva vidas.”という文は、「音楽と一緒になることで、命が救われる」とも訳せるかもしれません。じっさい音楽は、「聴いて心地よいもの」、「おしゃれな流行」である以上に、リスナーがアーティストの存在に助けられ、生きやすくなるような力も持っていると思います。

こちらの曲もチェック!

ニッキ・クルスはデビューしてからまだ日が浅く、アルバムやEPを発表するに至っていませんが、発表されている曲の中から次の2曲を紹介しておきます。

Nick Cruz – Então Deixa (Clipe Oficial)

↑ギターが軸となっているポップな一曲。ラップを取り入れていて、MVではダンスにも挑戦しています。

Nick Cruz, Urias – Cato Cato (Clipe Oficial)

↑トラップのダンスミュージック。トランス女性のアーティスト、Urias(ウリアス)とのコラボです。

最後に

さて、この記事では、世界でもまだ珍しいトランス男性のアーティスト、ニッキ・クルスを紹介してきました。

世界中で数えきれないほどの曲が生まれていますが、そのうちほとんどの曲が、シスジェンダーの心情を歌ったものではなかったでしょうか。

青少年の悩みを歌った曲や、多数派の恋愛を歌った曲はたくさんあふれているのに、自分の悩みを歌った曲がない、みたいな現象ってありますよね。そして、マイノリティの作品が登場すると、「もうそういうのは見飽きた」みたいなことを言う人が現れる現象も…。

そんな「平穏と敬意」が欠けている世の中にあって、しっかりと声を上げて表現しているニッキ・クルスを私は尊敬するし、日本でも知られてほしいと思い、この記事を書きました。

2022年は、6月の時点でまだ新曲をリリースしていませんが、インスタでは元気な様子を見せています。才能あふれる若いアーティストなので、これからの活躍が楽しみです。

参考

タイトルとURLをコピーしました