はじめに
Embed from Getty Imagesブラジルのドラァグ・クイーン、Pabllo Vittar(パブロ・ヴィター)について語るとき、政治の話を避けて通ることはできません。
2010年代後半にデビューしたパブロヴィターは、次世代のトップスターとして音楽界を賑わしただけでなく、政治的な言動で若者に影響力をおよぼす存在としても注目されてきました。
この記事では、そんなパブロの政治性に光を当てていきます。音楽の話は少なく、ほとんどが政治の話です。そのため、読んでいて「めんどくさい」と感じるかもしれません。でも、この数年間に起きたことを整理して大きな視点で見れば、パブロの真の魅力に迫ることができます。長い記事ですが、最後までおつきあいいただけると嬉しいです。
「パブロ・ヴィターって誰?」という方や、音楽活動についてだけ知りたいという方は、まず最初に以下の記事をご覧ください。バイオグラフィーや代表的な曲をまとめてあります。
LGBTQを狙う憎悪犯罪
ブラジルは、LGBTQを狙った殺人事件の件数が多い国です。
人権団体「Grupo Gay da Bahia」(GGB)によると、2016年にブラジル国内で殺害されたLGBTの人数は推定340人で、それまでの年より悪化。被害者の大半は道路で殺されているといいます。(GGB、2016/12/31)
それ以降も状況は改善しなかったようで、アムネスティ・インターナショナルによると、2023年までのあいだ14年間連続、世界のどの国よりもトランスジェンダーの人々が殺害されたとのことです。(Amnesty International、2023/12/10閲覧)
もっとも、ブラジルという国は人口が多く、都市部ではカミングアウトして生活している性的マイノリティも多いため、LGBTQの人数自体が他の国と比較して多いかもしれません。また、貧富の差が激しく、地域ごとの文化も異なり、治安が極端に悪い地域も存在します。そうした事情も考慮しなければ、一概にLGBTQを狙った憎悪犯罪が多いと言うことはできないでしょう。
一方で、こうした統計は、それ自体が恐怖でもあります。性的マイノリティであることが分かるような恰好をしていると、道を歩いているだけで襲われるかもしれない。現実として、多くの性的マイノリティが路上で殺されている――。これは、ブラジルで生活する当事者にとって、さぞかし恐ろしい統計ではないかと思います。
LGBTQのロールモデル、パブロ・ヴィター
このような社会的状況の中、Pabllo Vittarはデビューし、LGBTQの権利と尊厳を守るためにメッセージを発信してきました。
たとえば2017年には、同性愛を「病気」として「治療」することを禁止する法律を連邦判事が却下しています。つまり、同性愛を「病気」として扱い「治療」することを認める判決が下されたということです。
このニュースを受け、Billboard(ビルボード)のインタビューでパブロは、連邦判事の判決を「本当に悲しい」と批判。ブラジルのLGBTQの若者に向けて、次のように語っています。
ブラジルのLGBTQの若者を映し出す存在になれたことは光栄だと思っていますし、偏見や同性愛嫌悪と戦えることが心の底から嬉しいです。自分をゲーム・チェンジャーに変える一番の方法は、自分が何者であるかを再確認することだと思います。変化が起こり始めているとはいえ、私たちが社会から受けるべきすべての敬意を保証するまでには、まだまだ長い道のりがあります。この状況で一番重要なことは、私たちが団結すること、そして戦いを決して諦めないということです。
Billboard、2017/11/6
音楽という形でも、LGBTQの若者を勇気づける作品を作っています。

2017年の1枚目アルバム「Vai Passar Mal」(ヴァイ・パサール・マウ)では、最後に「Indestrutível」(インデストルチーヴェウ)という曲が収録されています。「Indestrutível」は、「破壊されえない」、「不滅」、という意味。どんなひどい目にあっても、自分自身は「Indestrutível」だと歌う曲です。
ミュージックビデオは、ゲイの少年が壮絶ないじめを受ける場面から始まり、「ブラジルのLGBTQ+の若者のうち、73%が学校でいじめや暴力の犠牲となっている」というテロップが続きます。そして最後、舞台で喝采を浴びたパブロは、次のようなスピーチをしています。
ありのままの自分、なりたい自分に対して、偏見をもたれるのではなく、敬意をもたれるようになる時が来ました。同性愛嫌悪の人に向かって言ってやりましょう、「これが私ですけど?」
Indestrutível
ここで紹介したのはほんの一例ですが、パブロがデビュー当初からLGBTQのロールモデルであろうとしていたということは、明確だと思います。
ボルソナロという政治家
Embed from Getty Imagesそんなパブロのキャリアは、奇しくもボルソナロがブラジル大統領だった時期と重なっています。
ボルソナロは、日本でも「ブラジルのトランプ」として話題となりました。ただ、細かいことはあまり報道されていなかったので、ここで簡単にまとめておきます。
元軍人、親米、極右、新自由主義
ボルソナロは、元は軍人です。退役後に市議会議員となって政治家としてのキャリアをスタートし、2018年10月の大統領選に立候補しています。最初は泡沫候補とされていたのですが、アメリカのトランプの選挙手法を研究し、SNSを積極的に用いた広報活動をおこなって、幅広い層の支持を集め当選しました。そして2019年1月1日に大統領に就任しています。
政治的な立場を一言でまとめると、「親米」で「極右」、経済学的には「新自由主義」です。
コロナ対応の責任
Embed from Getty Imagesボルソナロ政権について、政治的な評価を下すことは、専門家でない私にはできません。ただ、パンデミックの対応は、明らかな失敗だったのではないでしょうか。
ボルソナーロは大統領の立場にありながら、「コロナはただの風邪だ」と主張し続けました。そして、経済最優先をかかげ、行動制限の導入に断固として反対し、州知事や市長がロックダウンを実行すると、彼らを「独裁者」と罵っています。(BBC Japan、2021/3/22)
さらに、ワクチンに関しては、信頼できる製品の確保や普及に消極的なだけでなく、接種すると「エイズになる」というようなデマを発信しました。(BBC、2021/12/4)
ブラジルは人口が多く、貧富の差も激しい国で、簡単にロックダウンに踏み切れないという特有の事情もあったのかもしれません。また、安全性の高いワクチンは先進国(日本も含む)に買い占められていたため、ワクチンの普及を積極的にできない状況だったようです。
それでも、多くの国民が命を落とし、医療従事者がコロナと戦う中、一国のリーダーとしてあまりにも不適切な言動ばかりしていたと言わざるをえません。
結果として、ブラジルは2022年7月時点でコロナによる死者数が6万5000人超となり、統計上アメリカに次いで2番目に犠牲者の多い国となりました。(BBC Japan、2020/7/8)
トランプのアメリカ、そしてボルソナロのブラジルが、パンデミックで多数の死者を出したことは、今後も忘れてはならないと思います。
数々の問題発言
「コロナはただの風邪」のような問題発言だけでなく、ボルソナロは差別や悪意をむき出しにした暴言でも知られています。
ブラジルの軍事政権時代の肯定、女性蔑視、そして同性愛嫌悪(ホモフォビア)の発言がよく知られており、2011年「Playboy」(プレイボーイ)誌のインタビューで、「ゲイの息子なんて愛せない、そんな息子は事故で死んだ方がマシだ」と語ったことは、各国のメディアにも取り上げられました。(Extra、2011/6/7)
最近は世界的な傾向として、政治家がどんなスキャンダルを起こしても、どんな暴言を吐いても、「景気さえ良くしてくれればなんでもいい」、「むしろ露悪的なほうが、嘘をついていなくて信頼できる」と感じる人が増えているようです。一方で、最高権力者が問題発言を繰り返すような人物だった場合、その国はどんな社会になってしまうのか、いざというとき本当に大丈夫なのか、という観点を見落とすと、取り返しのつかないことになってしまうと私は思います。
どうして大統領に選ばれたか
そもそも、どうしてボルソナロは大統領に選ばれたのでしょうか?
彼が当選した背景には、政治不信がありました。ボルソナロの前に政権をとっていたのは、左派の労働者党(PT)です。労働者党は、弱者の味方というイメージが売りだったのですが、南米史上最悪と言われる汚職事件「ラバジャット」(Lava Jato)によって続々と逮捕者を出し、信頼を失いました(詳しくは後述します)。
そんな中でボルソナロは、「クリーンなふりをして、やっていることは汚かった」前政権と比べ、「クリーンなふりをしていないだけマシ」に見えたのではないでしょうか。
また、バラマキをやめて「小さな政府」にするよう訴え、新自由主義の理論にもとづく経済政策を提唱していたため、ブラジル経済の立て直しを求める人たちの支持を得ました。
治安改善のためには暴力的な手段もやむをえないという考え方も、不況で治安が悪化する中で評価されたようです。選挙活動中、ボルソナロ自身が暴漢に刺されて負傷し、暴力にもめげない姿勢を見せたことも、イメージアップにつながったとされます。
さらに、近年のブラジルではプロテスタントの福音派が信者数を増やしており、彼らは同性愛者の権利拡大に反対しています。ボルソナロは福音派の大臣を入閣させており、こうした宗教団体の支持基盤があることも、選挙戦の勝因としてあったようです。
こういった複合的な理由から、ボルソナロは多数の支持を得て、ブラジル大統領に選ばれました。
パブロ・ヴィターとボルソナロ
さて、いよいよ本題です。
パブロ・ヴィターは、LGBTQの若者を代表する立場として、ボルソナロを真正面から批判し続けてきました。パブロが大統領選でどのように立場表明していたか、そしてそれがメディアによってどのように取り上げられたかを、時系列で見てみましょう。
2018年総選挙

ブラジルは4年ごとに総選挙をして、大統領、議会、州知事、州議会を刷新します。ボルソナロが大統領として選ばれたのは、2018年10月に行われた総選挙でした。
この2018年のブラジル総選挙で、パブロはボルソナロの対抗馬であった労働者党のアダジ候補を支持することを表明し、ファンに投票を呼びかけています。
エリノン運動
ボルソナロがSNSを用いた選挙戦を展開する中、ボルソナロに抗議する女性たちもまた、SNSを通じて草の根運動を行っています。
SNSで「#EleNão」というハッシュタグのもと連帯し、各地でデモを行ったため、この動きは「Ele Não」(エリ・ノン)運動と呼ばれました。「Ele Não」というのは、日本語にすると「彼ではない」という意味です。エリ・ノン運動は、2018年の総選挙で最大規模の民衆運動だったと言われています。(UOL、2018/9/29)
パブロはこの動きに賛同し、音楽賞であるMultishow賞の授賞式に出演した際、ショーの最後に「エリ・ノン!」と叫んでいます。
なお、この音楽賞では、ミュージックビデオ部門(Best TVZ Music Video)に楽曲「Indestrutivel」がノミネートされていました。受賞には至りませんでしたが、授賞式のショーでは天使のコスチュームを身にまとい、LGBTQの若者に向けたメッセージソングともいえるこの曲を披露しています。(UOL、2018/9/26)
暗闇の虹
ところが、2018年10月7日の総選挙の結果は、ボルソナロの得票率が46.2%、アダジは29.1%。誰も過半数を得なかったため、ボルソナロとアダジ、どちらかを選ぶ決選投票が10月28日に行われ、最終的にアダジが44.9%、ボルソナロが55.1%を獲得し、ボルソナロ大統領の誕生が決定しました。
決選投票の結果を受け、パブロはInstagramに、暗闇の中うかびあがる虹の写真をアップしています。写真にはただ一言、「eu resisto」(エウ・ヘジスト)、「私は抵抗します」という言葉が添えられていました(現在は投稿が削除されている)。自分たちにとって暗闇のような時代が始まったとしても、プライドを守っていこう、というメッセージだと受取ることができ、多くのファンが慰められたのではないでしょうか。
「Não Para Não」
このように総選挙でブラジル社会が激震する中、2018年10月4日に、パブロの2枚目アルバム「Não Para Não」(ノン・パラ・ノン)がリリースされています。
このアルバムによってパブロの人気はますます高まり、次々と音楽賞を獲得するようになりました。
中でも、MTV Europe Music Awards(MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード)の「Best Brazilian Act」部門は注目です。インターネットのファン投票によって決まる賞で、Pabllo Vittarは2019年と2020年、2年連続で受賞しています。
ちなみに前年の2018年までは、Anitta(アニッタ)が5年連続で受賞していました。国民的スターであるアニッタの次に出てきた新星として、パブロはさらに知名度を上げていくことになりました。
次世代のリーダー
ボルソナロ大統領に抗議するLGBTQアイコンとしても、パブロは国内外のメディアから注目を集めていきます。
2019年、アメリカの雑誌「Time」(タイム)は、パブロを「次世代のリーダー」の一人に選んでいます。その選考理由は、ブラジルでLGBTを狙う殺人事件が多く、同性愛嫌悪のボルソナロが大統領として選ばれた中、ポップスターとして人気のパブロが、LGBTのために声を上げ、ボルソナロに抗議してきたから、ということです。(Time 、2019/10/10)
このように、影響力の大きな海外メディアがパブロを取り上げたことで、パブロはますます政治的な役割を期待されるようになっていったのではないかと思います。
LGBTQアーティストの台頭
ボルソナロが大統領になった時期、パブロの人気は急上昇しました。LGBTQのコミュニティ内でだけでなく、幅広い層からの支持を得て、文字通りトップスターになったと言えます。
そしてそんなパブロを筆頭に、ブラジルのポップス界では次々とLGBTQのアーティストが現れています。
Pabllo Vittarの実質的なデビューとなったのは、2015年10月9日の「Open Bar」でした。絶賛された1枚目アルバム「Vai Passar Mal」は、2017年1月12日にリリースされています(ディスコグラフィはこちらの記事にまとめてあります)。
他のアーティストを見てみましょう。
ドラーグ・クイーンのGloria Groove(グロリア・グルーヴ)は、2016年に「Dona」でデビューし、2018年に「Bumbum de Ouro」でヒット。その後、お茶の間の人気者となっていきました。
Ludmilla(ルジミーラ)は2014年にメジャーデビューしていますが、トップアーティストとしての地位を確立していた2019年にバイセクシュアルであることをカミングアウトし、同性婚をしています。
Liniker(リニケル)は、2015年10月15日にEP「Cru」でデビューしています。なお、Linikerの場合、ポップスではなくMPB(エミペーベー)のアーティストとして名声を獲得し、その後ポップスに接近していきました。MPB(エミペーベー)は、「Música Popular Brasileira」(ブラジルのポピュラーミュージック)の略で、単なるポップスではない格式あるブラジル音楽がこれに分類されます。MPBには昔からLGBTQのアーティストが多く、そうした伝統が、現在の大衆的なポップスに影響を与えているのかもしれません。
このように振り返ってみても、Pabllo Vittar以降のブラジルポップス界は、それまでの時代よりも、そして他のどの国よりも、LGBTQのアーティストが多く、彼らの音楽や映像表現が正当に評価されているように思います。このような「時代の変化」が起きた背景には様々な要因があったはずですが、ひとつの大きな要因は、パブロヴィターの大ヒットだったと言えるでしょう。
パンデミック
2020年には、新型コロナウィルス(COVID-19)によるパンデミックが起きました。
さきほども述べたように、ボルソナロ大統領は、「反行動制限」、「反ワクチン」にこだわり、問題のある言動を繰り返しました。
そんな中、数々のアーティストがみずからワクチンを接種し、SNSを通じて接種を呼びかけています。
パブロもその一人です。パブロは注射器で自分の身体にワクチンを打つ瞬間を撮影し、SNSに投稿。ワクチンは安全だと身をもって示し、ハッシュタグ「#foragenocida」(虐殺者出てけ)でボルソナロを批判しました。(UOL、2021/8/16)
2022年総選挙
こうした中でむかえた2022年10月の総選挙では、ボルソナロ政権の是非が問われることになりました。
対抗馬となったのは、元ブラジル大統領のルラ。パブロはルラを積極的に応援し、ルラが当選すると、祝賀イベントにも出演することになります。
ルラという政治家
貧しい農家出身の大統領
Embed from Getty Imagesここで、ルラという政治家についてまとめておきます。
ルラは貧しい農家で生まれ、小学校を中退して職工となり、労働組合での活動をへて政治家に転身しています。1980年、軍事独裁政権に抗議する「労働者党」 (PT)が結成されると、この政党に合流しました。
2002年10月の大統領選に出馬して勝利し、2003年から2010年までの8年間、大統領を2期つとめています。この間、低所得者に条件付きで現金を給付する「ボルサ・ファミリア」(Bolsa Família)という政策を実施しました。左派政権らしい富の再分配で、バラマキとも批判されましたが、中間層が育ち、内需が拡大してブラジル経済は好景気をむかえました。
また、現金給付の条件として、児童の就学を家庭に義務付けたため、識字率が上がったとも報告されています。サッカーのワールドカップやオリンピックを招致したのも、ルーラ政権でした。
こうして貧困層を中心に絶大な支持を得ましたが、憲法により3選は禁止されているため、任期満了をもって退任。後任としてブラジル初の女性大統領となるルセフを指名し、ルセフが労働者党(PT)政権を引継ぐことになりました。
ブラジル史上最大の汚職事件とルラの逮捕
ところが、ルセフ政権の支持率は低迷します。
2015年に国際経済のあおりを受けた不景気が始まると、失業率が上がり、年率10%のインフレも発生。
そんな中で、ブラジル史上最大の汚職事件、通称「ラバジャット」(Lava Jato)の捜査が進み、与党である労働者党(PT)の政治家が次々と逮捕されていきました。
「ラバジャット」というのは、車の洗車場(lava jato)のことです。洗車場を利用したマネーロンダリング疑惑から捜査が始まり、ブラジルの国有石油会社ペトロブラス、ゼネコン、電力事業社、銀行、そして与党政治家が、贈収賄で不正な利益を得ていたことが明らかになったため、事件全体が「ラバジャット」と呼ばれています。

この事件の捜査が進むと、2016年には前大統領のルラも逮捕され、収賄罪などで有罪判決を受け、収監されるに至ります。ルセフ大統領も収賄罪を問われ、2016年に罷免されました。
2016年から2018年までは、ルセフ政権で副大統領だったテメルが大統領に就任し、残りの任期を務めたものの、国民の信頼を失い、支持率は下がる一方でした。なお、リオデジャネイロ・オリンピックの開会式にはテメルが出演しています。
ルラの有罪判決無効
こうした政治不信を受け、2019年にボルソナロが大統領となりました。多くの国民が汚職の撲滅を願い、経済の立て直しを望んだ結果だと言ってよいでしょう。
ボルソナロ政権の初期は、経済政策が功を奏し、好景気に沸いたようです。ところがパンデミックが発生すると、経済は打撃を受け、連日たくさんの死者を出しました。
そして2021年3月、ブラジル連邦最高裁は、ルラ元大統領の過去の司法手続きを無効とする判決を下します。この司法判断によって、ルラは2022年10月の大統領選に出馬できることになり、選挙戦はボルソナロ対ルラの一騎打ちとなりました。
ボルソナロVSルラ
2022年のロラパルーザ・ブラジル
Embed from Getty Images総選挙を半年後にひかえた2022年3月25日、サンパウロで3年ぶりに開催された音楽フェス、ロラパルーザ・ブラジルは、「Fora Bolsonaro!」(フォラ・ボルソナロ、「ボルソナロ出てけ!」)という掛け声であふれていたと報告されています。(The Guardian、2022/3/27)
もともとルラに投票するようファンに呼び掛けていたパブロ・ヴィターは、3月25日のステージで「Fora Bolsonaro!」(ボルソナロ出てけ!)と連呼し、ルラの顔写真がプリントされた赤いタオルをたなびかせました。
パブロの他にも、ブラジルのラッパーEmicida(エミシーダ)、イギリスのMarina(マリーナ)など、多くのアーティストがボルソナロに抗議するパフォーマンスをしています。
これに危機感をもったボルソナロの政党、自由党(PL)は、彼らがやったことが「時期尚早な選挙活動」であるとして、高等選挙裁判所(TSE)に申告。選挙裁判官は、ロラパルーザに出演するミュージシャンの「派手で即興的」な選挙活動を禁止し、違反者に5万レアル(約130万円)の罰金を課す、という通告を出しました。
これに対して「検閲だ」という批判が殺到し、SNSが騒然となっていたのを私も覚えています。
「Volta Pra Ficar」
8月19日にリリースされたPabllo VittarとLukinhas(ルキーニャス)の曲「Volta Pra Ficar」(ヴォウタ・プラ・フィカー)は、タイトルを日本語に訳すと「また戻ってきて」という意味です。
愛する人に戻ってきてほしいと歌うラブソングなのですが、ルラの再選を願うという二重の意味をもった曲として、ファンのあいだで受け止められました。
歌詞は、「戻ってきて、年内に戻ってきて/そして私たちの歴史をすべて整理して/これ以上もう待てない/ここがあなたの場所」。年内に行われる大統領選で、ルラに大統領として戻ってきてほしい、という意味にも読み取れます。ジャケットの基調色が赤で、労働者党(PT)のイメージカラーと同じことも、ルラの応援歌として受容された理由の一つです。
ルラの勝利とFestival do Futuro
そしておこなわれた2022年10月の総選挙は、ルラが勝利しました。得票率はルラが50.9%、ボルソナロが49.1%で、僅差の大接戦です。
2023年1月1日には、ルラの大統領就任式が執り行われました。
就任式の夜、新政権の発足を祝う祝賀イベント「Festival do Futuro」(フェスチヴァウ・ド・フトゥロ、未来のフェスティバル)が労働者党の主催で開かれています。出場者は、労働者党の公式ホームページの記載をそのまま引用すると、「Pabllo Vittar, Duda Beat, Gaby Amarantos, Maria Rita, Kléber Lucas, Martinho da Vila e muitos outros」。パブロの名前が筆頭に挙げられており、パブロの影響力の強さを労働党が重く見ていたことがうかがえます。
このイベントでパブロは、ライブでおなじみの曲だけでなく、ルキーニャスと共に「Volta Pra Ficar」を披露しました。ここに貼った公式動画では、パブロの出演部分は8:54:20から始まります。
最後に
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。政治がテーマなので、重苦しい記事になってしまいました。
本当のパブロは、もっと軽やかにパフォーマンスをしています。難しい言葉は使いません。
ゲイだからっていじめられるのは許せない。同じように苦しい思いをしている人の味方になりたい。そういった素朴な信念で、ポップスターの立場でできる限りのことをやっているのだと思います。
そんなパブロの姿は、多くの共感をよび、いつのまにか政治的な影響力をもち、国際的にも注目されることになりました。
現在も華々しく活躍していますが、ボルソナロ政権、そしてパンデミックという未曽有の時代において、パブロはまさに夜空を照らす星のような存在だったと思います。
そんな記憶を、ちゃんとした形で残しておきたいと思い、この記事を書きました。
なお、この記事は、2022年に書いた記事を大幅に書き直したものです。
参考
ボルソナロ大統領就任までのブラジル現代史については、『現代ブラジル論―危機の実相と対応力』(2019年、上智大学出版)が詳しいです。
第一次ルラ政権からルラ大統領復活までの経緯は、外山尚之氏の『ポピュリズム大陸南米』(2023年、日本経済新聞出版)が勉強になりました。