periferia、periferico、periferica
ブラジル音楽のアーティストに関する記事を読んでいると、よく「periferia」(ペリフェリア)や「periferico / periferica」(ペリフェリコ/ペリフェリカ)という言葉を目にします。「ルジミーラはperifericaなのに成功した」とか、「ターシャ・イ・トレイシーはperiferiaの黒人女性のプライドを取り戻すために活動している」とか──。
「periferia」というポルトガル語は、辞書によると「周囲」、「周辺」、「近郊」という意味。ただ、何かそれ以上のニュアンスがあるような気がして、ずっと引っかかっていました。
すると、偶然みつけた論文が、その疑問を一気に解消してくれたので、この記事ではその論文を読んで分かったことをまとめておきます。
なお、このブログは、住所や出身地にもとづくあらゆる差別に反対しています。詳しくは「最後に」をご覧ください。
「periferia」とは、低所得者層が住んでいることの多い、都市「郊外」のこと
誤解を恐れず結論から言うと、「periferia」とは「郊外」のことで、ブラジルの大都市の郊外には低所得者層が住むエリアがあり、そういった場所を暗黙のうちに指す言葉のようです。
参考にした論文は、こちら。
論文タイトル:「サンパウロ市のファヴェーラ その形成と市当局の制作」
掲載誌:「ラテンアメリカ・レポート Vol.19 No.1」(2002年5月)
執筆者:近田 亮平(Ryohei Konta)
PDFリンク:こちら
この論文では、サンパウロ市の低所得者層が住む場所が、3種類に分けられています。
- 「ファヴェーラ」favela
- 「コルチッソ」cortiço
- 「都市周辺部の貧民住宅」casas precárias de periferia
このうち、コルチッソは元々「ハチの巣」という意味で、サンパウロの場合は都市中心部の集合住宅のこと。家自体は大きいものの、老朽化しており、そこに「又貸し」のような違法な賃貸契約で住民が住んでいるパターンです。シャワーやトイレは共同で、衛生環境は劣悪な場合が多いと指摘されています。
これに対し「都市周辺部の貧民住宅」casas precárias de periferiaは、郊外のスラムを指しています。住民は不動産登記なしの違法な売買契約で土地を買い、そこに「自助建設」で家を建てて住んでいて、インフラは整備されていない場合が多いとのこと。こういった住宅地は、都心近くのファヴェーラのような「整然」とした感じが無く、「雑然と密集して建設されている」、と近田氏は表現しています。
誤解を招かないように協調しておきますが、「periferia」自体はあくまでも「周辺部」という意味です。ただブラジルの大都市の場合、その「周辺部」にスラム街が広がっている場合があり、このことをおそらく現地在住の人たちは当然の常識として知っているのでしょう。日本語で「山の手」と言うとき、単に「丘の上」という意味だけでなく、「富裕層が住む場所」とう暗黙の了解があるのと似ていると思います。
「periferia」や「periferica」の適切な訳語は?
それでは、「periferiaの文化」とか、「彼女はperferica」という言葉は、どう訳せばいいのでしょうか?
これを「郊外の文化」、「郊外出身」と訳してしまうと、日本のベッドタウンのイメージで理解されていまい、不適切でしょう。
また、「periferia出身」のアーティストは、ブラジルの記事でも「favela出身」と言い換えられていることがあります。periferiaが広い意味でのfavelaであることは、間違いないでしょう。
ただ、「ファヴェーラ」という日本語だと、外国人目線のイメージが先行しがちです。リオの急斜面にひろがるカラフルな街並みや、サンバやファンキが生まれ育った場所、というポジティブなイメージから、犯罪組織が牛耳る地域、映画『シティ・オブ・ゴッド』のイメージまで──。こういったイメージを「periferia」に重ねるのも、大雑把だと思います。
実際、100年以上の歴史をもつリオのファヴェーラと、ここ数十年で都市の住宅不足から発生した郊外の住宅地は、性質が違います。
最適な訳語は、私には分かりません。このブログでは、「郊外(periferia)」や「郊外出身(periferica)」と表記することにします。
最後に
ブラジルと日本では比較にならないと思いますが、私自身、都市郊外にある工業地帯の、「ガラが悪い」と言われている所で生まれ育ちました。(だから、ペリフェリア出身のアーティストに惹かれるのかもしれません。)
私の育った町は、たしかに閑静な住宅街とは雰囲気がぜんぜん違います。独特のヤンキー文化があって、実家も狭かったです。とはいえ、私にとっては大事な故郷。だから、自虐的に「〇〇出身」と言うことはあっても、内心では誇りに思っていて、知人から出身地をからかわれたときは、なんとなく嫌な気持になりました。まして、知らない人から「こんなひどいとこに人が住んでるの?」とか言われたら、めちゃくちゃ怒るでしょう。
自戒もこめて言いますが、興味本位で他人の住宅や生活について語るのは、慎みたいものです。この記事がそういった「ネタ」になってほしくないということを、ここに明記しておきます。
とはいえ、壮絶な格差社会であるブラジルでは、住所のブロックごとに明らかな「違い」があるのは事実です。外国人としてブラジル文化を理解したい人も、そういった「違い」を理解する必要があると思います。
私自身、「ファヴェーラ」に関して雑なイメージしか持っていませんでした。また、ペリフェリアやコルチッソも、ブラジル事情に詳しい方は暗黙のうちに知っている常識なのかもしれませんが、私は知りませんでした。
そして、事情を知った上でブラジルの音楽界を見渡してみると、ペリフェリア出身のアーティストの存在は、また違った意味合いを帯びて見えてきます。彼らを「ファヴェーラ出身」とひとくくりにしてしまうと、見逃してしまうものがあるように思います。